Contents.
Features
Regurals
- 2020 【ニーゼロ】 No.12 Getting to know you on this planet.
- スペースニャンベーダーリヴネコ 最終話 「束の間の平穏」
- YOKOYARI BROTHERSの水差し論 第五十六試合 「VS 叫べ! 必殺技! 」
- 宇井のクリエイター発掘ラボ「No.31 ヲバケ」
- Seiya Asanoの 2021年映画の旅 17th Film. 「ズートピア」
Features
皆さんはColorhythmRisaさんをご存知ですか?
宗像市出身のアートパフォーマーで、 ペイントとダンス、物語を融合させた総合芸術としての表現を追求されている方です。
NY発祥の大会「Art Battle Japan」や蛯名健一主催「Like the BEST!」で優勝するなど、活躍の場を広げています。
今回は、そんなColorhythmRisaさんの特徴の一つである ライブアートパフォーマンス、そしてColorhythmRisaさんとはどんな人物なのかを掘り下げていきます。
ライブアート『Beauty and the beast』
本作品は『美女と野獣』の物語を、何度も塗り変えながら約30分で描いたものです。場面場面で移り変わる情景、色、表情などはライブアートならでは。そこにダンスと音楽をプラスして様々な表現で構成された全てが、『Beauty and the beast』という作品です。
ここでは、物語を8つに分けてその場面をご紹介していきます。左ページに本作品のフル動画のQRコードがありますので、そちらから是非ご覧下さい。
Scene1. 野獣の城と薔薇
Scene2. 雨が降り野獣出現
Scene3. ベルの涙
Scene4. 野獣の本性
Scene5. 野獣の涙
Scene6. 寄り添うベル
Scene7. 野獣の本当の姿
History
本格的に絵を勉強し始めたのは大学に入ってからでした。それまでは趣味で絵を描いていて、今の作風の感じではなく、マンガや似顔絵などでしたね。
自分には個性がない、あがり症を克服したい、自分を変えたいとの思いから、高校3年生の時にストリートダンスを始めました。某お店の窓を鏡代わりに、友達とよく夜練習してましたね。
その後、大学の美術課を経て中学教師になりました。教師生活約3年半の中で、一人で何十人の生徒に対して、中学生一人一人の心を動かす伝え方の難しさ、夢を追う仲間とのギャップに悩んでました。
またこの時期に保護者の紹介で、日本美術家連盟所属の古木孝幸先生に師事し、油絵を始め絵が出来上がる過程や色の表現などを学んだのもあり、一念発起して教師を辞め、似顔絵師として活動し始めました。短い時間で絵を仕上げるスピード、コミュニケーションはこの時に学ばせてもらいました。
しかし、他の似顔絵師の方々と比べて自分の個性って何だろう? そんな考えに悩んでいた 最中、ステージ上で絵を描くというオファーをもらったのをきっかけに、この楽しさにのめり込み、今のライブアートパフォーマーとしての活動に続いています。
絵を描く < 人を喜ばせる、エンターテイメントとしてのアートを追求し、日々試行錯誤を繰り返して、今まで学んできたものを融合した総合芸術、これを私の個性として表現しています。
Information
47都道府県の歴史や 神話を描くプロジェクトを
7月に宗像から開始します!
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テレビの声「あーーーっと、ここで3カウント入ってしまったーーーッ! マスク・ド・エスペランサ5度目の王座防衛失敗! ベルトが移動してしまいましたーーーッ!」
負けてしまったかぁエスペランサ。あの技くらってしまったらキツいわな! それにしてもコロナの影響で試合数も少なくなって、俺も王座戦線からちょっと遠ざかってるなー。でも俺には新必殺技がある。試合のない空いた時間を使って編み出した、来るべきときに温存してある新必殺技が。そういえばまだ技名決めてなかったな。
ここで説明しよう! プロレスラーにはそれぞれフィニッシュホールドと呼ばれる、勝負決めにいきますよという必殺技があるのだ。そして、その技を出すときにお客さんを盛り上げる決めポーズや「いくぞーッ!」などの掛け声が存在するのだ。
最近の技は変わった名前やカッコいいのが多いからなぁ…よし! 新必殺技は『エンド・オブ・デイズ』にしよう! どうだ、最後感満載でカッコいいし、シュワちゃん連想されて強そうだろ!
あとは技出すときにポーズを決めるか、掛け声出すか、技名叫ぶのはバレバレだしなぁ…。…ん? ちょっと待てよ? 漫画では大体が必殺技名を叫んで繰り出すよな? そんなの相手に「今からこの技出すんで、一瞬の間に心の準備してくださいね」って言ってるようなもんじゃねえか! 納得いかねえなぁ!
漫画だから、カッコいい技名付けるのは読者を意識したいいことだと思う。読んでる方もワクワク感あるしな。だが、技出すときはテロップ的な形で表示すればいいじゃないか。なんでわざわざ叫ぶんだ! しかも「これで最後だッ!」なんて前置きする輩もいるじゃねえか! そんなこと言ってしまったら相手も「今から一番強烈な技来るんだろうなぁ、やだなぁ、怖いな怖いなぁ」って思っちゃうだろ! 地球を滅ぼそうとする敵に向かって、ネタバレするのは親切心が過ぎるぜ!
百歩譲って、短い名前ならまだいいよ。技名叫ぶと同時に相手に届くしな。でも長い名前付けちゃって、しかも思いの丈まで言っちゃった日にはどうだ。「これで最後だッ! 俺のありったけのパワーをこの技に込めてお前にぶつけてやる! いくぞ! ファイナルアトミックアナザーライトニングエターナルボルトーッ!」もうなんか色々長過ぎて、相手も最大限に防御力高めて身構えるし、ありったけのパワーとか言ってるからこの技受け切ったらあと楽勝で倒せるじゃんって思わせてしまうだろ! なんなら「なんか色々言ってるけど、今のうちに攻撃してしまえばいいんじゃね? 俺今待つ必要ある? いいや、やっちゃえ!」ってなったら終わりだぞ!
某漫画のゴムのやつとかも、ちょっと気になることがある(ゴムのやつに限ったことではないが)。技名の最初に必ず付く「ゴムゴムの〜」ってやつ、あれは果たしているのか? ゴムの能力を持ってて、それは共通事項なんだから一つ一つにいちいち付ける必要はあるのか?
例えば、クロワッサン専門店で、ディスプレイにプレーンクロワッサン、チョコクロワッサン、抹茶クロワッサン、アーモンドクロワッサンと並べて商品名が書いてあって、 お客 「すいませーん、このプレーンクロワッサンを2個と、チョコクロワッサンを1個と、アーモンドクロワッサンを1個ください。」 店員 「プレーンクロワッサン2個、チョコクロワッサン1個、アーモンドクロワッサン1個ですね。」
いや待て待て! 『クロワッサン』専門店だぞ! 全部何かしらのクロワッサンだろうが!いちいち全部の商品にクロワッサン付ける必要ないだろ! 客も客だ! 注文するときにクロワッサンは言わなくてもわかるだろ! そして店員! お前が一番言っちゃだめだろ! なんだこの一連の無駄な時間は! もうわかっている無駄な部分は端折っていこう! そうすればその分時間も省略されてストレスなく読めるし、余計なストレスもなくなるってもんだ。
技名で言えば、冒頭で話したプロレスの必殺技だが、最近は新しい名前の必殺技が多すぎるぞ! 業界のタブーに触れてしまうことになるかもしれないが、「あれ? この技、昔◯◯選手が得意としてた技と同じだよな?」とか、「これって結局パワーボムじゃねえか!」みたいなのが多すぎる気がするなぁ。諸先輩方が作り上げて継承してきた技名は守っていかないと!
えっ? 俺の新必殺技はどんなのかって? 口では中々説明しても伝わりにくい複雑な技なんだよなぁ。つまりはアレだ! ラリアットだ!
今回はピクサー映画屈指の人気を誇る『ズートピア』について筆を執ります。
子供から大人まで幅広い観客を獲得しながら、「差別」というセンシティブなテーマを鋭くポップに語ってみせ、それも長年説かれ続けてきた被害者の痛みを再度語り直す安易な手段ではなく、観客の意識をいかに「加害者の視点」へと自然に導くか、といった試みによって成し得たのです。
2009年の映画『第9地区』でも同様の構成が仕組まれており、「どうしようもないほど無益無能なエイリアンたち」を徹底演出した上で「そんなわけで、我々人類が奴らを迫害したって至極当然なんですよね」と観客にも嘲笑を促しているのです。差別は必ずしも悪意に起因するわけではなく、「それなりの理屈と全体主義」によって容易く成立してしまうのです。
差別とは制度であるか、あるいは。
さて、『ズートピア』の製作国であるアメリカでは、皮肉にも本作の公開以降、白人警官が罪の無い黒人を射殺する事件が相次ぎ、コロナ禍においてはアジア系市民に向けられたヘイトクライムが多数発生しました。劇中、ジュディが咄嗟に「キツネ撃退スプレー」を構える場面は、様々な意味でアメリカの未来を的中させることになったのです。
こういった犯罪や、憎悪による殺傷は一刻も早く消え去るべきです。しかし、犯罪がゼロになったからと言って、それは差別が無くなった証明になるのでしょうか? 例えば、世界史を辿ればありとあらゆる「奴隷制度」の存在が見えてきます。人間には生まれながらの序列があり、従って身分に差を設けているのです。これらの制度は確かに廃止されているわけですが、そもそも制度の根幹となっている差別意識を消し去るためには表面的な整備以上に「奴隷制度を望まないこと。そして望むことは罪悪であり、愚の骨頂である」と各々が認識することが必要です。
現代においては、『ズートピア』で示されたように潜在的な「自己の被害者化」が「加害者」を造り出すのです。「かわいそうな私達」が大前提である人々にとって、彼らの頭を撫でてやらない人物は、もうそれだけで悪党に等しいのです。「頭を撫でてくれなかった」という被害を嘆き合い、「アイツは酷い人間だ」という認識を共有し、自分と同じ色をしたマジョリティに身を落ち着かせてしまえば、きっと心も安らぐでしょう。
「分離すれど平等」を掲げたジム・クロウ法は区別と名付けられた武器によって有色人種を虐げました。「誰があの人達で、誰がこの人達か」を決定する権利を片方が携えながら。あるいは一方的に「彼ら」を隔離できる特権をぶら下げながら「平等」だと言い張るのです。
「これは差別じゃない。自分達と、それ以外を区別したまで」と。
「私は差別なんかしていない」という欺瞞を疑わない者は、 「私は被害者なんだ」という大義名分によって生き残り続けるでしょう。誰が真の加害者かも、気付かずに。
Seiya Asano
95年生まれ。宗像市出身の元格闘家。現在は映画ライター兼自主制作映画監督として活動。「観てない人には是非興味を!観た人には是非知識を!」をモットーに、映画をメディアやイベントで解説。 2020年・生涯『最も愛している映画』Top 100を公開中。
2020年・生涯『最も愛している映画』Top 100
クリエイターNo.31
ヲバケ
フィルムカメラで写真を撮ってます。
面白いこと、カワイイものがすきです。